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みどりの通信 2022年11月号 ごぼうが折れても幸せな話/ネーミングセンス

ごぼうが折れても幸せな話

 みどりのでつくるごぼうは「大浦太」という品種(通称:大浦ごぼう)で、スーパーで売ってるごぼうとは姿かたちがまるで違います。直径10センチほどで外皮が粗くて、中心が空洞になっていて…。そのへんに転がってる枯れ木みたいな見た目なのですが、食べると肉質はやわらかく、うま味が強い。鼻に抜ける香りもすばらしい。研修時代に食べさせてもらって、口に入れた瞬間ビビビッと衝撃を受け、以来、ゴボウはこれ一本でやっています。

 大浦太の栽培はとても難しく、畑選び(畑の排水性)や大雨の有無であっという間に枯れ果ててしまいます。昨年は畑選びに失敗し、全滅…ごぼうのない寂しい冬を過ごしました。今年はなんとか収穫までこぎつけました!

 えっさほいさとシャベルで深ーい穴を掘り、ゴボウが見えたら折れないように、ゆっくりそーっと引きぬく。それでもたいがい先っぽが折れてしまうのですが、折れずにそのままとり出せたときの喜びはひとしおです。(せっかく掘り上げても、根腐れ病で出荷できないこともあり、その時の悲しみはふたしおです)

 自家用には折れた先っぽを集めて食べています。定番のきんぴらごぼうはわがやの常備菜。ネギとごぼうと油揚げのみそ汁や、鶏肉と一緒に煮こんでコクのあるスープ。甘辛く煮込んだごぼうを卵とじにしたりもして…きれいにごぼうが掘り上げれれば達成感で幸せ、折れてもわが家でごぼうがたくさん食べられて幸せ。ごぼうが豊作だと、どっちに転んでもハッピーです。(友亮)

 

ネーミングセンス

 どうでもいいような話かもしれませんが、種の名前が気になります。種を選ぶとき、種をまくとき、収穫するとき、包むとき、その都度、名前や特徴を意識しながら作業をするのですが、たまになんでこんな名前をつけたのかと首をかしげたくなるものがあります。

 たとえば枝豆の「湯あがり娘」。「湯あがり息子」ではなく「娘」となるのはなぜでしょう? よくよく考えるとかなりいやらしい名前です。野菜の品種改良をする育種の現場にはおじさんしかいなかったのでしょうか。女性がいたとしても疑問を持ったり物申す雰囲気ではなかったのかな…などと想像。

 同じく枝豆の「ゆかた娘」に「げんき娘」。キャベツの「若女将(おかみ)」。野菜を擬人化したくなる気持ちはわかりますが、おいしさや見た目のよさと性別を結びつけるあたり、いや~な気分になります()。とはいえ、おいしさ重視でしょうがなくその品種を選ぶことも。なんだか悔しいです。

 逆に、これはいい名前だな~という品種もあります。ほうれんそうの「まほろば」。カリフラワーの「美星」。おいしいうえにすてきな名前の野菜は、愛着が増します。

 …と、こんなこと気にする農家は私くらいかもと思いつつ、セクハラ的な思考が埋め込まれた品種が流布することで、農村の男性中心的なものの見方や考え方が助長されるのではと、つい先日も若女将の種まきをしながら一人ぶつぶつ文句を言っておりました。(照手)

 

 《余談》

 この秋わが家に中古のミルサー(粉挽き機)を迎え入れました。その名も「よめっこさん」。なぜ婿ではなく嫁なんだ!と、ここでも憤慨していましたが、今年はじめてつくった韓国唐辛子を一味にしてキムチに使える! 自家用大豆を炒ってきな粉にしよう! 庭の山椒の実を干して粉にしようと楽しみにしています。

 

*これらはどれも10年以上前に育種されたもの。これからできる品種にはそういうものが少なくなることを期待します。