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みどりの通信 2020年8月号 天気と暮らす

 

●天気と暮らす

 これほどまで夏の太陽を待ちわびたことがあったでしょうか。長い長い梅雨で畑はぐちょぐちょ、作業場まわりの道もズブズブ、家の廊下はぺたぺた、洗濯物はじっとり…。テレビでは各地の集中豪雨の様子が流れ、気持ちも陰鬱にならざるを得ませんでしたが、8月に入ってようやくお日様が戻ってきました。

 思えば毎日会社に出ていた頃は、一日中空調の効いた場所にいたので、そこまで天気の良し悪しが気になることがなく、雨が続いてもなんだか大変だなと他人ごとのように考えていたふしがあります。

 ところが農家になってみると、長雨も風も猛暑もこの身に迫ってきます。畑も家も移動できないので逃れることはできなくて、オロオロしたり嘆いてばかりです。今回もそうだったのですが、同時にふと思ったのが、今のように天気予報もない時代、人々はどうしていたのだろうかということでした。調べてみたら、先日の豪雨でも氾濫していた筑後川流域の記録(昭和初期頃)を見つけました。興味深かったので、一部抜粋して引用します。したたかにたくましく、その土地で生き抜いてきた人々の姿に励まされました。(照手)  

 

ー洪水の被害と恩恵ー

 この地域は、毎年のように筑後川が氾濫する。洪水になると、心配や苦痛は数えきれないほどあるが、洪水のないところの人たちが考えるほどでもない。というのは、川が氾濫すると、いろいろな雑物や、あず(肥沃な土)が流れてきて、それが人々の生活に役立つからである。《中略》 燃料確保は大仕事であるが、洪水のときは、山の谷間から激流に押し流された雑木や製材の板切れが山ほど流れてきて、それが筑後川の堤防でたくさんひろえるのである。

 また、あずは上流の肥えた土をたくさん含んでいるため、田や畑にたまると肥料分になって土地が肥え、稲、麦、野菜がよくとれるようになる。《中略》

 雨もやみ、一息ついて日の光がさすころ、大人たちは子どもを連れて、稲の被害を調べて回り、明日からの復旧作業の計画を立てる。このようなとき、しばらく会えなかった人たちと話ができるのも、水害のおかげである。

 大人たちは、稲が腐らないかと心配しながら復旧作業を急いでいるが、子どもたちにとってはうれしいことがある。舟に乗ったり、半切り(直径三尺、深さ一尺ほどの桶)に乗って水遊びができるからである。あたり一面青い海さながらになるから、遊ぶことはいっぱいある。浅瀬では舟を押し、魚をとり、深みでは竿でこぐ。稲の植わっている田に竿を突きさしたりするので、大人から再三しかられるが、そんなことは、子どもにはどうでもいいことである。竿が急にずぼりと深く埋まったり、深いかと思って用心してさすと思いもかけず浅かったり、あたり近所の高低がわかるのも楽しいものである。(日本の食生活全集『福岡の食事』197~199頁)